今年も「大塩館」に泊まりました。
信州で2番目に山奥の村「大鹿村」。秘湯温泉です。
.山なのに「塩」の温泉。七不思議の一つと言われています。
未だに何故、塩水が湧くのか解明されていませんが、海水とほぼ同じ約4%、優しくなめらかなお湯です。
地元産の食材を使ったお料理が、温かいうちに供されるのは嬉しいです。
鹿肉のルイベも・・・
松茸の土瓶蒸し・・・
岩魚の塩焼き・・・
大鹿村の天日干し新米も・・・美味しかったです!
この後も、色々供されたのですが・・・美味しくて写真を撮り損ねました。
今日も晴天!
リンゴ狩りです。「陽光」という品種です。
たわわに実る林檎を採るのが楽しくて・・・採った林檎は買うのですが、採りすぎて帰りの荷物の重たいこと・・・!
りんご園の近くには、長野県で一番古い木造建築の「福徳寺」が在りました。堂内には、薬師如来坐像と阿弥陀如来坐像、毘沙門天・聖観世音菩薩の四体が安置されています。
昼間に扉を開けると災害が起こるとの言い伝えがあるそうです。
信州は、民話や伝統文化、独特の生活風習などが今も守り伝えられている地域です。又、いつか訪れたいと思います。
大鹿歌舞伎 (長野県伊那) 〈1〉
大鹿歌舞伎を見物して来ました。
大鹿歌舞伎は、長野県下伊那郡大鹿村に300余年前から伝承されている地芝居です。大鹿村の集落の神社の舞台で演じられます。
大自然に包まれ、解放された空間の中で、まさに古来の観劇スタイルそのままに、境内にゴザを敷き、ご馳走を食べ、酒を酌み交わしながら芝居を楽しむのです。
私達が頂いた「松茸弁当」・・・村人達が作られたと聞いています・・・美味しかったです!
午後、12時頃から4時頃までの上演ですが、早々と席は埋まっていきます。
役者、太夫、舞台裏や着付けの人々はもちろん、大鹿歌舞伎に携わる人達全てが村人です。 寄付をした方達の名前も、次々と貼られていきます。
回り舞台、太夫座、奈落を供えた歌舞伎舞台です。 壇上で始まりの挨拶、客席からは大きな拍手!
前日までは寒い雨模様でしたが、今日は、眩しい太陽が暑いぐらい・・・絶好の芝居日和です。
大鹿歌舞伎は、新緑の春と、今回の、紅葉の秋の、年2回公演が催されます。
上演外題は30演目以上にのぼり、その中で『六千両後日之文章重忠館の段』は大鹿村にのみ伝わる外題で、六千両とは6人の千両役者の意であるとされています。できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫された出し物です。
歴史の変遷の中で、江戸時代から明治時代には、歌舞伎上演の禁令は厳しく、その弾圧をかいくぐりながら、村人の暮らしの大事な核として脈々と受け継がれてきたのです。
大鹿村の地芝居は隔絶された立地条件の中で生きてきた村の人々の、心の拠り所だったのでしょう。
大きな見得や力のこもった所作が続くと、声援にも思わず力が入ります。
「ヨッ!池田!日本一!」とか「校長先生行け、行け!」とか・・・校長先生が捕り手役だったようです。
客席がどっと沸き、舞台と客席が一体となり、地芝居の何ともいえない魅力が生まれます。
おひねりも、後ろからドンドン飛んできます。舞台に届かず落ちてしまったおひねりは、小さな子供たちが喜んで集めては舞台に投げていました。
地面に座っての4時間の見物、大丈夫かと心配しましたが、面白く楽しい時間を過ごすことが出来ました。
近くの会館で、「切り絵展」が開催されていたので、観て来ました。
「日本で最も美しい村」大鹿村に魅せられて移り住まれた「柳 土情」さんの作品展です。
繊細で美しい作品ばかり、大鹿歌舞伎を題材に切っておられる作品もあり、そのリアルさに驚きました。
リニア新幹線が、この村の地下を通るそうで、工事も始まっていました。 大鹿村も、だんだん変わっていくのでしょうね。
大鹿歌舞伎は、長野県下伊那郡大鹿村に300余年前から伝承されている地芝居です。大鹿村の集落の神社の舞台で演じられます。
大自然に包まれ、解放された空間の中で、まさに古来の観劇スタイルそのままに、境内にゴザを敷き、ご馳走を食べ、酒を酌み交わしながら芝居を楽しむのです。
私達が頂いた「松茸弁当」・・・村人達が作られたと聞いています・・・美味しかったです!
午後、12時頃から4時頃までの上演ですが、早々と席は埋まっていきます。
役者、太夫、舞台裏や着付けの人々はもちろん、大鹿歌舞伎に携わる人達全てが村人です。 寄付をした方達の名前も、次々と貼られていきます。
回り舞台、太夫座、奈落を供えた歌舞伎舞台です。 壇上で始まりの挨拶、客席からは大きな拍手!
前日までは寒い雨模様でしたが、今日は、眩しい太陽が暑いぐらい・・・絶好の芝居日和です。
大鹿歌舞伎は、新緑の春と、今回の、紅葉の秋の、年2回公演が催されます。
上演外題は30演目以上にのぼり、その中で『六千両後日之文章重忠館の段』は大鹿村にのみ伝わる外題で、六千両とは6人の千両役者の意であるとされています。できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫された出し物です。
歴史の変遷の中で、江戸時代から明治時代には、歌舞伎上演の禁令は厳しく、その弾圧をかいくぐりながら、村人の暮らしの大事な核として脈々と受け継がれてきたのです。
大鹿村の地芝居は隔絶された立地条件の中で生きてきた村の人々の、心の拠り所だったのでしょう。
大きな見得や力のこもった所作が続くと、声援にも思わず力が入ります。
「ヨッ!池田!日本一!」とか「校長先生行け、行け!」とか・・・校長先生が捕り手役だったようです。
客席がどっと沸き、舞台と客席が一体となり、地芝居の何ともいえない魅力が生まれます。
おひねりも、後ろからドンドン飛んできます。舞台に届かず落ちてしまったおひねりは、小さな子供たちが喜んで集めては舞台に投げていました。
地面に座っての4時間の見物、大丈夫かと心配しましたが、面白く楽しい時間を過ごすことが出来ました。
近くの会館で、「切り絵展」が開催されていたので、観て来ました。
「日本で最も美しい村」大鹿村に魅せられて移り住まれた「柳 土情」さんの作品展です。
繊細で美しい作品ばかり、大鹿歌舞伎を題材に切っておられる作品もあり、そのリアルさに驚きました。
リニア新幹線が、この村の地下を通るそうで、工事も始まっていました。 大鹿村も、だんだん変わっていくのでしょうね。
奥利根・宝川温泉 (群馬)
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の際に時に、見つけたとされる宝川温泉。
水上からさらに利根川を遡った所にある秘境です。
部屋のある棟には、吊橋を渡って行くのも、雰囲気が在ります。
奥利根の自然に包まれ、側を流れる宝川に沿っての4つの露天風呂は、延べ面積470畳。天然温泉が掛け流しされています。
120畳ある一番大きな混浴露天風呂・・・映画『テルマエロマエII』の舞台になったことでも知られていて、日本人だけではなく、外国人にも大人気の温泉だそうです。
大正時代に湯治場としての宿泊施設が作られたのですが、近くで縄文人の遺跡が発見されており、その時代から利用されていたのではないかと考えられているそうです。
水上からさらに利根川を遡った所にある秘境です。
部屋のある棟には、吊橋を渡って行くのも、雰囲気が在ります。
奥利根の自然に包まれ、側を流れる宝川に沿っての4つの露天風呂は、延べ面積470畳。天然温泉が掛け流しされています。
120畳ある一番大きな混浴露天風呂・・・映画『テルマエロマエII』の舞台になったことでも知られていて、日本人だけではなく、外国人にも大人気の温泉だそうです。
大正時代に湯治場としての宿泊施設が作られたのですが、近くで縄文人の遺跡が発見されており、その時代から利用されていたのではないかと考えられているそうです。